愚痴・憎まれ口・無駄口・世迷言・独断と偏見・屁理屈・その他言いたい放題



その27.≪「歌舞伎4百年」、長いか短いか!≫




603年に、京都で出雲の阿国が「歌舞伎踊り」を始めてから、
今年が丁度400年目に当たるので、いろいろな記念公演が計画さ
れています。1603年と言えば、奇しくも徳川家康が江戸幕府を
開いた年でもあります。400年の歴史と伝統は、決して仇や疎か
に出来るものではありませんが、日本の伝統文化と言われるものの
中では、比較的新しいものである事も、知っておく必要があると思
います。                         


00年とは言っても、直ぐに女歌舞伎が禁止され、続いて若衆歌
舞伎も禁止された為、今日の歌舞伎芝居の原型とも言うべき「野郎
歌舞伎」が上演されるようになったのは、更に50年ほどの後の事
ですから、実質的には350年と思ってもいいでしょう。因みに、
歌舞伎舞踊の代表作である「京鹿子娘道成寺」が、初代中村富十郎
によって初演されたのは、今から丁度250年前の1753年です
し、九世市川団十郎が初めて和洋合奏の「娘道成寺」を演じて(こ
れは頗る評判が悪かったそうですが)、「あやめ杜若は〜♪」のく
だりを大勢の所化の総踊りにしたのは、今からたった104年前の
1896年の事で、「春興鏡獅子」の初演より後だった事も、知っ
ておいて欲しいと思います。(それ以前は、所化は「鐘入り」まで
ジッと座っていたんです。足、痛かったでしょうネェ・・・)それ
に、初演の富十郎の振りは、現在では数ヶ所を除いて殆んど残って
いません。最初の部分は、「三番叟」のような振りだったと言い伝
えられていますし、「梅とさんさん♪」では振り出し笠は使われて
なかったし、「クドキ」はお扇子で踊ってたようですし、「山尽く
し」以降は後で増補されたものです。どちらかというと、地唄舞の
「鐘ヶ岬」に近いものだったのかもしれませんネ。      

762年に初演されて以来、殆んど日の目を見なかった「鷺娘」
が、現在のように盛んに上演される人気作品として蘇ったのは、今
からたった80年ほど前の1922年に、帝劇でアンナ・パブロワ
が「瀕死の白鳥」を上演して以降の事です。パブロワの迫真の演技
に圧倒された当時の人々が、なんとか「和製・瀕死の白鳥」に仕立
て上げようと、新しい合方を増補したり、振り付けや演出を大幅に
改定したからこそ、今日これほど流行しているんだと言う事も、ぜ
ひ知っておいて欲しいです。                

んな風に、「たった100年前」とか「たった80年前」とか書
くと、若い人達は「なにが『たった』だ!」と思われるかもしれま
せんネェ・・・僕が物心ついてから今日まで、約50年ほど経って
る訳ですが、僕にとっては長いようでもあり、アッという間のよう
でもある50年でした。その間、何一つ奥義を極めた訳でもなし、
アレヨアレヨと言ってる内に50年過ぎてしまいました。だから、
100年と言っても僕の年令の2倍弱だし、400年と言ってもた
かだか8倍弱なので、僕にはそれほど重みのある年月には感じられ
ないんです。世界中には、紀元前数千年前から、既に高度な文明が
栄えていた地域がいくつもあるので、それらに比べれば数百年前の
出来事なんて、つい最近の事のように思えるんです。(笑)そして上
記の舞踊1つとっても判るように、その数百年の間にも、様々な変
遷があって今日に至ってるんですが、現在歌舞伎座や日舞の会で上
演されている物が、初演当時と殆んど同じ物だと勘違いしている人
が、実は想像以上に多いんですよネ!観客にも出演者にも!  ・

居の演出も、以前は色々な役者の型が残っていて、台詞からして
違ってたし、衣裳・カツラは言うに及ばず、小道具・大道具も下座
の音楽も様々でしたが、今では誰が演じても殆んど同じで、芝居を
観る楽しみが減ってしまいました。そういう珍しい古い型は、地方
の農村芝居などに残っていて、時々目からウロコが落ちるような思
いをする事があります。そういえば「鏡山」も、市川女優座でやっ
てた型が、なんとも楽しくてワクワクしたのを覚えています。 

々「歌舞伎」は「傾き(かぶき)」の当て字で、「傾き」は「傾
く(かぶく)」「傾き者(かぶきもの)」という意味なんです。そ
して「傾く」とは、「異様な風態で、それまで見た事もないような
パフォーマンスを演じる」事だった訳ですから、原宿の歩行者天国
で自由奔放に踊り狂って一世を風靡したグループ(そういえば、そ
んな名前のグループもありましたっけ!)が、客が入場券を買って
劇場に観に来るほどにレベルアップした物と、殆んど同じと思って
いいでしょう。                      

戸時代は、全ての最新流行は歌舞伎から始まると言ってもいいぐ
らい、時代の先端を走る前衛的な役割も担っていましたが、また反
面では、三大悪所(遊郭・賭場・芝居小屋)の1つに挙げられるぐ
らいで、良家の子女がおおっぴらに出入りできる場所ではなく、む
しろ成人男性を中心とする遊興の場でもあったんです。    

んな、理屈抜きに気軽に楽しめるエンターティンメントだった筈
の「傾き」が、いつの間にか高尚な伝統芸術ということになってし
まって、今ではスッカリ「守り」の体制に入ってしまいました。勿
論、芸術的にレベルアップする事は素晴らしい事ですし、最下層の
「川原者」と言われていた役者が芸術院会員に列せられるまでにな
るには、先人達の血の滲むような努力があったでしょうし、そのお
蔭で僕達もこうして日舞を楽しむ事も出来るんですから、決してそ
の事を否定してる訳ではありません。でもその代償として失ってし
まったものは、計り知れないんじゃないでしょうか。隣の小屋の評
判に対抗して、一夜にして全ての演目を入れ替えてしまうようなエ
ネルギーは、何処に行ってしまったのでしょうか。      

は歌舞伎が大好きですし、世界に誇れる一大エンターティンメン
トだと信じています。だからこそこの「歌舞伎四百年」を契機に、
もう一度原点に戻って、ルネッサンスの運動を起こして欲しいと思
います。「歌舞伎」は、まだまだ若い芸能なんですから♪(笑) 



「僕の独り言」TOPへ

前ページへ   次ページへ